村上華岳
むらかみ かがく【生年】1888~1939
祖母・池上雪江は、日本最初の孤児院としての修徳院を創設する。
実父・誠三は医者または学者といわれるが、困窮な幼児期を送った。父逝去、母と生別の後、神戸の界隈の素封家・村上五兵衛の養子となる。
喘息の持病のため京都画壇を離 れての清浄な生活の中で、六甲の山々や、諸仏を厳しい線と抑制された色彩で描くという、精神性の高い独自の画境を開いた。
屈折した幼児期を過ごし、早熟にして病弱な体に、神戸・大阪・京都の微妙に違った文化風土の影響を受け、人物、風景、仏画などに甘美を老成、繊細と豊饒の交錯する作風を残す。特にその神秘を極めた線の追求から「線の行者」と称された。
村上華岳 作品

水墨牡丹之図
【制作年】1930 年(昭和5年)
【材質】紙本彩色 軸
【寸法(cm)】31.4×72.2 ㎝
解説
華岳は牡丹の花を好んだようで、かなりの点数の作品がある。
淡く匂うようなやわらかさが淡墨と濃墨のやさしい溶けあい中に表現されている。

夏味蔬菜
【材質】紙本彩色 軸
【寸法(cm)】37.2×45.9cm
解説
このコレクションの華岳の作品の中では、華岳の最も若い時期のものであると思われる。
この写実そのものの絵は、当時の若い画家の秀作であったようで、同系の作品は、小林古径、速水御舟を始め、いろいろの作家にみられる。(加山又造)
(駒形十吉(編)『村上華岳』長岡:駒形十吉記念美術館、1994年)